こんにちは。てぃみです。
今日は少し、いつものお出かけ記録とは違う話です。
下鴨神社で見た一本の御神木のこと。
そして、そのあとに思い出した、昔育てていた植物の話です。
少し不思議な話かもしれません。
京都にある下鴨神社(正式名称:賀茂御祖神社〈かもみおやじんじゃ〉)へお参りに行きました。
左右から緑豊かな巨木に見守られ、湿った土のにおいと森林の香りが漂う参道。
見上げれば、木々の葉が折り重なり美しい緑のトンネルが続く。
そんな参道の空気を肺いっぱいに、もう無理というところまで思い切り吸い込む。
すると自然と視線が上向きに。
そしてゆっくりゆっくり、息を吐く。
木々の姿の美しさを見上げてばかりで完全に前方不注意な私。
参拝に向かう人は多いけれど、道幅も広く安心。
砂利を踏む音も心地いい。
そんな中、時々、老木が支柱に支えられている姿が。
その幹も美しく、私は見惚れて立ち止まったり。
そうして進んだ途中、
周りに柵が立てられ、大きく手前に傾いた巨木がありました。
近づくとしめ縄がかかり紙垂(しで)が下がっていて、一見して御神木であることがわかります。
しばらくそこに立ち止まり、何度も幹を下から上へ眺めました。
幹は皮がはがれているところもあり、老木であることは一目瞭然。
でもその姿は荘厳で美しい。
もう少し眺めていたくて、近くのベンチに座りゆっくりと観察しました。
多くの人が本殿へ向かって参道を進み、この御神木の前を通り過ぎていきました。
立ち止まる人はいません。
とても静かな穏やかな時間。
年月を重ねた幹の美しさ。
自身の重みに耐えられず大きく傾いた幹。
その先には小ぶりだけど豊かな葉が青々と茂っていました。
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この2日後、「下鴨神社の御神木が倒れる」というニュースを見ました。
御神木はたくさんあったけど、もしやと、ニュースの映像を確認しました。
確かにあの御神木。
とてもさみしい気持ちと、
感謝の気持ちが入り混じって、複雑な気持ちでした。
長い間、みんなを見守ってくれて、ありがとう。
倒れる前の最後の姿を見せてくれて、ありがとう。
推定樹齢450年。長い長い間、下鴨神社を訪れる人々を見守り続けた御神木。
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私はふと、若い時に育てた植物のこと、その後の不思議な話を思い出しました。
私は、庭いっぱいに様々な植物を育てて、いつも季節の花を楽しんでいた祖母の影響か、草花が子どもの時から好きでした。
幼少期は緑が豊かなところに住んでいましたが、
大人になり都市に住むと庭もなく、自然を感じたくて植物を部屋で育てるようになりました。
でも、これが、ことごとく枯れるのです。
これなら枯れないだろうと、買ってきたサボテンでさえも。
何年もたったある日、本だったのか、雑誌の記事だったのか定かではないのですが、
その不思議な文章の内容は鮮明に覚えています。
細かな文言は違うと思いますが、それは次のような内容でした。
ー 植物は人にエネルギーを与える
ー 特に元気のない人に惜しみなくエネルギーを与える
ー そして、自身は枯れる
私は、ストレスを感じやすく人付き合いも不器用な若者でした。
自分のことも好きになれず、何をやっても上手くいかないと感じていました。
人生は苦痛で満ちている。
今だったら、若いというだけで楽しいやん。て言えるんですが。
ハッとしたのです。
育てていた植物たちが、人生を楽しめずにいた私に、元気を与えてくれていたのかもしれない。
普通だったら、こんな話、きっと笑ってしまうことなのに。
私はその時、この内容が妙に心に残ったのです。
その後の私は、というと。。。
今、私の部屋にガジュマルがあります。
10センチもない、葉も5枚しかない小さなガジュマルだったのに。
どんどん大きくなって、葉が次々と増えました。
土から出ている根の部分も太く、高さは50センチくらいになりました。
また2度目の植え替えをしようと思っているところです。
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下鴨神社の倒れた御神木は、
悩みを抱えて訪れた人たちに、長い年月をかけて惜しみなく元気を与え続けてくれていたのかな、と。
ニュースを見てそんな風に感じました。
椎の木の中でも「つぶらじい」なんて、
お人よしのかわいいお爺さんみたいな名前の御神木。
本当に今までありがとうございました。
今度、倒れた御神木がお祀りされたあとに、また会いに行こうと思います。
↓ 下賀茂神社公式HP
【公式】下鴨神社(賀茂御祖神社)
↑ 御神木の最後の姿

